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<title>一湾生の備忘録 懐かしい台湾 その14 空襲</title>
span style="background-color: rgb(255, 0, 0); font-size: 125%;">一湾生の備忘録 懐かしい台湾 その14
空襲は毎日のように有った。
米軍機の大群は台湾海峡を北上して、
爆撃目標地の手前で陸上に入った。
例えば、台北を爆撃するのであれば、
台北の南部に位置する、新竹付近から
上空に入るという具合だ。
この様子は、ラジオで確かめた。
ラジオは逐一この様子を流していた。
終戦近くでは、米軍機は1機で飛んでいる様になった。
B24 B25 ロッキードP38などだ。
B25 は、私の家の上空を屋根に飛び、
後部銃座から機関砲を打ち、宣伝ビラを撒いていった。
ビラには、沖縄の女の子が幼児を、背負っている写真と、
まんがの福ちゃんの絵があった。