一湾生の備忘録 懐かしき台湾

台湾での生活の記録です。

一湾生の備忘録 西表島 伐採事業所 相変わらず発電機運転

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<title>一湾生の備忘録 西表島 伐採事業所 相変わらず発電機運転</title>

 

<span  style="font-size: 150%; color: rgb(255, 0, 0);"><b>一湾生の備忘録 西表島 伐採事業所 相変わらず発電機運転</b></span><br /><br />  伐採事業所の本部がある<b>白浜</b>に、配置された。<br /> 小高い丘は”隊長宿舎”があってアメリカの軍属と、<br /> 通訳が住んでいた。<br /><br /> <br /><br />   隊長宿舎のある丘から20メートルほど奥まった場所に倉庫があった。<br />  倉庫長と称する人が一人で管理していた。<br /><br /><br />  隊長の名前は”<b>マチュウス”</b>、通訳は、<b>石廣さん</b>だった。<br /><br /><br />  隊長が沖縄本島に行くのには“<b>スピードボート</b>”と称される、<br /> 10トン程度の鉄製の船をりよういた。<br /><br /><br /><br />  船長は、伊佐さん。機関長は狩俣さん。乗組員募は二人だけ。<br /> 隊長や石廣さんは、沖縄本島に行く時は、その船を使っていた。<br /><br /><br /><br />  休日にはその船を使って、引縄漁(trolling)を楽しんでいた。 <br /><br />  <span  style="color: rgb(255, 0, 0);"><b>発電機は2台 それぞれ型は異なっていたが何れも、<br /> 米軍野戦用で75KVA程度。</b></span><br /><br /><br /><br />   運転は一人で行い2交代制。<br />  もう一人は仲里 勇さん。私より5歳程年上。  <br />  内地人帰りで、陽気な人で、東京ブギウギを口ずさんでいた。<br /><br /><br />   <span  style="color: rgb(255, 0, 0);"><b>発電機は午後11時に運転を停止する。<br />  停止の5分前に 電圧を2回下げて消灯を予告する。<br /><br /><br />   発電機を止めて、その日勤務は終了となる。<br /></b></span><br /><br /><br /><br /><br /> <br /><br />