一湾生の備忘録 懐かしき台湾

台湾での生活の記録です。

一湾生の備忘録 懐かしい台湾 その15 令和5年10月15日の日記

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<title>一湾生の備忘録 懐かしい台湾</title>

 

<span  style="font-size: 150%; color: rgb(255, 0, 0);"><b>一湾生の備忘録 懐かしい台湾 その15<br /></b></span><br />  <b>玉音放送</b><br /><br /> 8月15日、自宅のラジオで聴いた。<br />雑音で、よく聴き取れなかったが、<br />終戦しかも敗戦。<br /><br /><br /><br /><br />  <b>近くの国民学校に居た兵士達</b>が、<br /> どうせ支那兵やるのだからと、機関銃と手榴弾を持ち出し、<br />大湖溪の川面を機関銃で乱射し、手榴弾を投げ込んだ。<br /><br /><br /> 手榴弾の2個は爆発したが、1個は不発だった。<br />飛び込むよう指示があったが、誰も川に入らなかった。<br /><br /><br /> 暫くして川に入り、白い腹を見せて魚を捕まえようとしたが、<br />手で触るとスルリと逃げていった;。<br /><br /><br /> 大湖溪では、竹製の筏に乗った二人の本島人が、<br />一人は後ろで筏を操り、1人が投網を投げ入れる光景が屡々みられた。<br /><br /><br /><br /> 私も小学生の時に大湖溪の河口で釣りを楽しんだ。<br />鱚(きす)が面白い様に釣れた。<br /> <br /><br /> <br />&nbsp; &nbsp; <b>疎開家族 造橋から帰宅へ<br /><br /></b> 基隆から疎開していた、廣中吉基君の一家4人は<br />基隆へ帰っていった。<br /><br /><br />